Franklin Delano Roosevelt(フランクリン・ルーズベルト)
生誕: | 1882年 |
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死没: | 1945年 |
ニューディール
アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトが世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策。世界で初めてケインズの理論を取り入れ、政府が市場経済に積極的に関与する政策へと転換。第二次世界大戦後の資本主義国の経済政策に大きな影響を与えた。
ルーズベルトが大統領に就任
世界恐慌によりアメリカ国民が失意のどん底にいた時代にルーズベルトが大統領に就任した。最優先課題は「アメリカ経済の再生」である。
フリードリッヒは「ケインズ主義的財政金融政策が無効であり、市場の力に委ねるのが最善の策である」と主張し続けたという。
大統領就任後ただちに実行したこと
- 公約どおりに「ニューディール政策」をただちに実行
- 2日目にバンク・ホリデー(銀行休業宣言)発令。預金を保護することを国民に約束することで取り付け騒ぎを収束
- 3日目に金銀の輸出を禁止。金本位制を停止する
- さらに「農業調整法」「全国産業復興法」など主要な法案を次々に議会で可決させた
ルーズベルトによる大胆な改革
「テネシー川流域開発公社」「国民資源保存局」を設立し、大規模な公共事業を行なって、大量の失業者を雇用した。具体的には、失業中の若者を植林事業に従事させる。
また、
- 失業者の救済
- 農産物の生産統制
- 補助金による農家救済
- 社会保障制度
- 預金保険制度
- 金融・証券制度の改正
アメリカの社会制度の基本デザインはこのときにつくられたといわれている。
労働者や女性、貧困層、マイノリティーを支持基盤とする民主党の構造を確立させたのも、大統領が定期的にラジオで演説を始めたのもルーズベルトであった。
また、就任演説では「投機や金貸しが諸悪の根源であり、銀行や金融関係者の強欲資本主義が恐慌を招いた」などと言い、徹底的に銀行や金融関係者たちを非難した。
公約を守るためにお粉たこと
- 政府支出を削減
- 軍事支出
- 退役軍人や家族への給付金を大幅に削減
- 「禁酒法」を廃止
ルーズベルトは単純な政府介入主義ではなく、時代の要請にあった社会をデザインし果敢に実行する政府を目指した(効率的な政府)。
ケインズとの共通項、すなわち介入主義「大きな政府」主義だと思われているが、それはまったくの誤りである。単なる財政拡大を目指したのではなく、あくまで「危機における政府の重要性」を指摘している。
大統領就任から「最初の100日間」で矢継ぎ早に各種の施策を実行に移した(ワンハンドレッド・デイズ)。以後、アメリカの大統領にとって最初の100日間で何をするかに国民の目が注がれるようになった。